多様性ってキレイゴト?
こんにちは、○○です。
ゆるく投稿していきたいと思っていますが、
今回は最近気になっている、「多様性」というワード。
イケイケな人たちはダイバーシティとか言ったりしますけど、
要は、「みんな違ってみんな良い!」という世界線の追求です。
私のような教員をしている人や、障害のある人たちと関わったりすることがあると、
この「多様性」という言葉はよくよく耳にしますし、大事なことだと思ったりもします。
ただし、本当に多様性という概念を追求していった先に、
「みんな違って、みんな良い!」という世界は待っていないと思うんですよね。
例えば、最近よく聞くヴィーガンと呼ばれる菜食主義の方々なんかは、動物性のものを食べることを忌避しているわけですが、彼らが大きな潮流となって学校での給食に動物性のものを出さない。なんてことになったらお肉が好きな人たちにとって、制限が生まれ、多様性の損失になるわけです。
そういった感じで、多様性といっても相反する二つの価値観が両立しないことって、
世の中たくさんあるんですよね。
矛盾する二つの価値観がぶつかったときに、それも「多様性」だからお互い受け入れなきゃっていう風になるのは、お互いの首を絞める結果につながるよなあ。と思ったりする私です。
障害のある人たちのことを思えば、「多様性」は非常に重要で、「多様性」の尊重がなくなると彼らの生きる肩身はぐっと狭くなります。
しかし、障害のある人の「多様性」を受け入れるという理念こそ尊いものですが、障害のある人たちが働くことのできる環境が社会に整っていないのも事実なわけで、
現状は、「多様性」という正論で、企業側に負担を強いているというのが正直なところです。
一般企業では、障碍者雇用という制度があって、行政から障害のある人を雇うことで数年間の補助金が出ます。要は、「障害のある人の能力が企業側の要求水準に達してしなくても、お金出すから我慢して雇ってよね。」っていうのが現状の仕組みなのです。
障害のある人たちと関わることが多い私みたいな人からすれば、このような社会がとても切なく感じたりもするんですが、個人のレベルで解決するには、とても大変な問題なんですよね。
そんなこんなで、「多様性」っていうのは、素敵な理念であることには間違いないですが、キレイゴトで固められている側面も強くて、「多様性」とか「ダイバーシティ」とか、気軽に言っている人たちのことを、あんまり信用できないよなぁって思って生きています。
皆さんは、多様性についてどのように考えるのか。良ければ、教えてほしいと思います。
それでは、今回はこの辺で、失礼いたしますね。